Endo Tech Blog

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「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を読んで、村上春樹さんを考える

村上春樹 が書かれた「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の上巻、下巻を読んだ。

 

 

 

 

「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を読む

なぜ読もうと思ったのか?

これは本当に申し訳ないのだが「たまたま」だった。

元々は坂本龍一の「音楽は自由にする」を本屋で見かけて買おうとしたのだった。

 

 

「音楽は自由にする」は「坂本龍一 追悼コーナー」の中央に、まるで王様のように飾られていた。そして、その下に「抱き合わせでどうですか?」的な感じで、村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」が家臣のように平積みされていたのだった。

 

村上春樹といえば、「ノルウェイの森」や「1Q84」、「アンダーグラウンド」など数々の著名な本を書かれた村上春樹である。

 

本好きなら名前だけでも聞いた事あるし、レコード好きなら元々Jazz喫茶を経営していた方で相当なレコードを所有している方で有名だ。その本屋でも新作の「街とその不確かな壁」が出た事で特集コーナーはあった。

 

 

「なぜ、坂本龍一さんの追悼コーナーに置かれているんだ?」

と疑問を持たざる得ない状況だった。

店員さんが相当な坂本龍一が嫌いな人なのか、それとも村上春樹が好きすぎて侵食範囲を広めたのか、それとも...なんて、あまりにくだらない妄想をあれこれしていたら、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」上下巻と、「音楽は自由にする」、3冊を買って持ち帰る事にした

 

ここまで色々かっこつけて書いているが、真相は1時間前に、奥さんとランチビールをして若干思考が弱り、僕が正常な判断ができなかった背景が9割だと思う。

 

前置きが長くなってしまった。

とにかく、僕は「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を読んだ。

とても面白かった。

村上春樹についてあれこれ書いているくせに、"熱中"して読んだのはおそらく「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」な気がする。それまでも「1Q84」や、「ノルウェイの森」も読んだ事あるのが、記憶が曖昧なのである。霧の中で蝶々を掴むように断片的で詳細が思い出せない。捕まえれると思ったら、手には鱗粉しか残ってない。

しかし、たしかに読んだ感触はある。

 

それと比較して「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」は、なんてわかりやすく、生き生きとした物語なのであろう。

この本は「世界のおわり」というファンタジーな話と「ハードボイルド・ワンダーランド」というSFチックでハードボイルドな話が交互に続く小説になっている。

一見して関係ない2つのストーリーが後半にいくにつれて交差していく展開が面白く、文字通り夢中になってしまった。面白い。

1回読み終わったあとにすぐさま、2周目でも読んだ。

そして、自分の血肉にしていきたい言葉を丁寧に摘んでは口に出していた。

 

しかし戦いや憎しみや欲望がないということはつまりはその逆のものがないということでもある。それは喜びであり、至福であり、愛情だ。絶望があり幻滅があり哀しみがあればこそ、そこに喜びが生まれるんだ。絶望のない至福なんてものはどこにもない。

 

ref: 「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド (下)」 p260

 

とても良い本だった。

もしまだ読んでない方がいましたら、是非手に取ってよんでみてください。

村上春樹について考える

2周目まで読むとある「違和感」に気づく。

本の内容は先程かいてあるように「世界のおわり」と「ハードボイルド・ワンダーランド」が交互に続く。しかし、途中本筋とは関係話で、全体のストーリーのリズムが崩れる場面がでてくるのだ。

 

詳細はここでは書かないが、話の流れ的に「この場面は必要なのだろうか...?」という章が一部ある。それが意図した「リズム」なのか、それとも緩急をつける為に用意した話なのか。

わからないがなぜか頭に引っかかるものがあった。

それを探る為にネット記事の解説読んでも、十人十色の感想が出てきて、僕と同じ違和感を持った人は出てこなかった。

 

結論から先に書くと、この違和感は村上春樹の自伝的エッセイ「職業としての小説家」を読む事である程度理解はできた。

その本にはこのような事がかかれていた。

 

 小説を書いているとき、「文章を書いている」というよりはむしろ「音楽を演奏している」というのに近い感覚がありました。僕はその感覚を今でも大事に保っています。それは要するに、頭で文章を書くよりはむしろ体感で文書を書くということなのかもしれません。リズムを確保し、素敵な和音を見つけて、即興演奏の力を信じること。

ref: 「職業としての小説家」 p56

 

これがまさに違和感の正体だった。そして、これはJazzぽいなとも思った。

Jazzはセブンス・コードが多様され、一定のリズムでの演奏が続くと思いきや、各パートで、その瞬間で降りてきたフレーズを場面に合わせて即興演奏を行う。

 

「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を読んでいると、序盤はピアノやベースでの一定のリズムで進行をしている感覚がある。しかし、中盤はそのリズムが崩れてゆっくりになったり、早くなったり、ソロになったり、飽きない工夫が随所に秘められている。そして後半にいくにつれてドラムが早くなり、そこに合わせてピアノ、ベースもどんどん音数が増えて最後は綺麗に終幕する。

 

これは元々小説家になる前はJazz喫茶を営んでいた村上春樹さんだからこそ生み出せる、ストーリの流れと、リズムなんだと、腑に落ちた。

まとめ

「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」、そして「職業としての小説家」を読んで改めて村上春樹さんは素晴らしい小説家だと思いました。

村上春樹の本は読んだ事があるけど、「職業としての小説家」を読んだ方は少ないと思うのでこちらも読むのを強くオススメします。

この本を読む事でまた違った見方ができて、二重で読書が楽しめると思いました。

 

今日はそんな感じです!

おわり