Endo Tech Blog

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「山下達郎のサンデー・ソングブック」を聴いて思った事を淡々と語る

2023/7/11 08:16

山下達郎さんの「RIDE ON TIME」を聴きながらこのブログを書き始めている。

 

青い水平線を いま駆け抜けてく

とぎすまされた 時の流れ感じて

Ah ときめきへと 動き出す世界は

忘れかけてた 遠い夢の訪れ

 

なんて力強く、揺さぶられる声と歌詞なんだろうか。

冒頭のディスコで踊れるようなピアノが入り込み、サビで響くトランペットとベース、そしてギター。すべてが素晴らしく絡みあう。泣けてしまう程に良い曲だと思う。

 

そんな曲を聞きながら、書いている。

2023年7月9日に放送された「山下達郎の楽天カード サンデー・ソングブック」を僕は聴いた。聴いたのだ。

 

radiko.jp

 

そこから1~2日、寝かせて何かが自分の中で発酵して答えが出ると思ったが、結論としては「悲しい」である。ただ、ただ悲しい。

 

怒りや、憤りや、応援、などもあったと思うが、静かに心に滴り落ちてきた感情は「悲しい」だった。なぜ、「悲しい」と思ったか?をこのブログでは書いてみる。

 

その前にこれを読んでいる方に謝りをいれておく。

 

今から書く文章は自分の為に書く文章である。なので、自己満足に近く、良い文章ではないし、時には気分を害させてしまうと思う。「山下達郎だ...?なぜそんな奴の為に文章を書くんだ?」とか、「山下達郎ファンのくせに批判をするのか?」と思う方がいたら、ここで止めて欲しい。

 

これから書く文章というのは「山下達郎が好きな僕をどう区切るのか」に対する、整理である。フラットな自分を一旦置いてみて、このアイデンティティに対しての審判を行っているに近い作業だ。その中で山下達郎さんの事を批判するかもしれない。

 

しかし、この「批判」というのはとても難しい技術である。

 

「批判」という言葉を調べてみると「良い所、悪い所をはっきり見分け、評価・判定すること」と出てくる。したがって悪い所だけ切り取り、それを言及して、承認欲をみたすような楽な事ができない。正しい所、良い所、全てを吟味した上で評価をする。それが正しい「批判」だと思っている。そしてこれが出来るのは、本人をよく知っている関係者や友人、親族、よっぽどのファンしかできない。

 

僕はここ最近で、山下達郎さんを聞き始めたミーハーだ。

だから、山下達郎さんに対して正しく批判ができないと思っている。後、10年、20年ぐらいは山下達郎さんが作った音楽を聴いて、書いている本や、インタビューを見なければいけない。

 

しかし、それでも書かざる得なくなったのは僕の気持ちの問題が勝ったからである。

なので、誠に申し訳なくミーハーなファンの一人として「山下達郎のサンデー・ソングブック」を聴いて思った事を淡々と語らせて頂く。

 

 

この文章を書くにあたって、もう一度「山下達郎のサンデー・ソングブック」を聴いた。なぜなら、放送後に大炎上を起こしたのでインターネットではどこもかしこも炎があがり、黒い煙で、自分の気持ちが上書きされてしまうと思ったからである。

 

中には擁護している記事もあったがそれらは一旦捨てて、まず第一に自分が感じた事を書きたい。(もしよければ全文はこちらからを読んでください)

 

___

 

性加害が本当にあったとすれば、それは勿論許しがたいことであり、被害者の方々の苦しみを思えば第三者委員会等での事実関係の調査というのは必須であると考えます。

 

ここはとても力強い言葉で発言をしており、静かに怒っていると感じる。

この後でも「性加害」に対する言及はあるが、山下達郎さんのスタンスとしては「No」がハッキリ伝わり、本人はちゃんと否定しているんだとわかる。

 

しかし、私自身がそれについて知ってることが何も無い以上、コメントの出しようがありません。自分はあくまで一作曲家、楽曲の提供者であります。ジャニーズ事務所は他にもダンス・演劇・映画・テレビなど、業務も人材も多岐に渡っておりまして、音楽業界の片隅にいる私にジャニーズ事務所の内部事情などまったく預かり知らぬことですし、まして性加害の事実について私が知る術まったくありません。

 

ここでは後半、少しおどけた様子で語っており、「そんな事を言われてもしらないよ」というのが伝わる。つまりは「自分は関係者でもなく、被害者でも、ただただ知らなかったから、そんなの突っ込まれても困る」という温度が伝わる。

 

これが本当だとしたら、マネージャーを変えた方がいい。

SNS、TV、ラジオ、昨今色んな情報が色んなデバイスで聞けるようなった2023年だが、山下達郎さんとマネージャーは未だに1960年代に取り残されており、そこからすごい技術を使って放送をされているのだろうか?  激しい憤りを感じる。

 

「ジャニーズ事務所の内部事情は知らなかった」は100歩譲ったして、世間での性加害問題に対するアンテナがなかったか、あるいは張ってなくもて良いと思われてしまうので、このコメントは良くないと感じる。

 

芸能というのは人間が作るものである以上、人間同士のコミュニケーションが必須です。どんな業界・会社・組織でもそれは変わらないでしょう。人間同士の密な関係が構築できなければ、良い作品など生まれません。そうした数々の才能あるタレントさんを輩出したジャニーさんの功績に対する尊敬の念は、今も変わっていません。

私の人生にとって一番大切なことは”ご縁”と”ご恩”です。

ジャニーさんの育てた数多くのタレントさんたちが戦後の日本でどれだけの人の心を温め、幸せにし、夢を与えてきたか。私にとっては素晴らしいタレントさんたちやミュージシャンたちとのご縁を頂いて、時代を超えて長く歌い継いでもらえる作品を作れたこと、そのような機会を与えて頂いたことに心から恩義を感じています。

 

ここはグッと声が上がり、真摯なジャニーさんへの思いが伝わる。

ジャニーさんというよりは、ジャニーズ事務所全体を応援し、鼓舞したい気持ちが伝わる。そして、これからも支えていきたいという気持ちと感謝が入って来ている。

 

私が一個人、一ミュージシャンとして、ジャニーさんへのご恩を忘れないことや、ジャニーさんのプロデューサーとしての才能を認めることと、社会的・倫理的な意味での性加害を容認することとはまったくの別問題だと考えております。作品に罪はありませんし、タレントさんたちも同様です。繰り返しますが、私は性加害を擁護しているのではありません。アイドルたちの芸事に対するひたむきな努力を間近で見てきた者として、彼らに敬意をもって接したいというだけなのです。

 

ここの「繰り返します」はとても力強く、明確な「性加害を擁護はしない」が伝わる。

良い。そしてその後に関わってくださってきた、アイドルや芸能に関わる方を応援したい気持ちがでてきおり、ここだけ聴いてみると良い話のように聞こえる。

 

しかし、だからこそ、ジャニーさんへの気持ちは恩を伝えるのではなく、正しく批判して、これからのジャニーズ達の未来を見据えて応援して欲しいという気持ちになる...。

 

正直残念なのは、例えば素晴らしいグループだったSMAPの皆さんが解散することになったり、最近ではキンプリが分裂してしまったり、あんなに才能を感じるユニットがどうして、と疑問に思います。私には何も分かりませんけれど、とっても残念です。願わくば、みんなが仲良く連帯して、素晴らしい活動を続けていってほしいと思うのは私だけではないはずです。キンキ、嵐、他のグループもみんな末永く活動していってほしいと思うばかりです。先日、男闘呼組の再結成という嬉しいニュースがありましたが、同じようにいつか近い将来、SMAPや嵐、キンプリの再集合も実現するような日が来ることを、竹内まりや共々に願っております。

 

それはそうだが、あまりに私情すぎる。

ここの気持ちがあるなら、今後ジャニーズが解散が増えないようなコメントを正しく出すべきである。後、解散については知っているのにジャニーズ事務所の内部事情を知らないとなると、マネージャー、或いは会社側でのリスク マネジメントに対する関心の低さが心配になってくる。残念極まりない。

 

性加害に対する様々な告発や報道というのが飛び交う今でも、そうした彼らの音楽活動に対する私のこうした気持ちに変わりはありません。

私の48年のミュージシャン生活の中でたくさんの方々から頂いたご恩に報いることが出来るように、私はあくまでミュージシャンという立場からタレントさんたちを応援していこうと思っております。

彼らの才能を引き出し、良い楽曲をともに作ることこそが私の本分だと思ってやってまいりました。このような私の姿勢をですね、忖度あるいは長いものに巻かれている、とそのように解釈されるのであればそれでも構いません。きっとそういう方々には私の音楽は不要でしょう。

 

ここのコメントを聴いておそらく拍手をしながら「よくぞ言った!いいぞ!」という方もいると思う。世間からの激しい批判の荒波を越えて戦っていく姿勢が垣間見れてしまった。

 

この時、僕の目からはどう見えていたのか?

僕はこの時、既に死去されていた坂本龍一さんのコメントの言葉を思い出していた。

 

Ars longa, vita brevis

芸術は長く、人生は短し

 

山下達郎さんが作る音楽、芸術は、過去しか見てないと思ってしまった。

我々が生きている 2023年、あるいは先を見てないのだ。

いつの時代を見ているのだろうか?

もう後の人生が短いから開き直ってしまったのだろうか?

 

正直なファンの感想としては「ミュージシャンとして泥臭く足掻いて欲しい」が、僕がこの時に思った正直な気持ちである。過去をみず、今の音楽と、今の時代と向き合った新曲を出して、足掻いて欲しい。坂本龍一さんのように、J Dillaのように、死ぬ間際まで音楽について考えて、死後も作った音楽で未来の人が踊れるような楽曲を書き続けて欲しい。

 

それがミーハーな山下達郎ファンである僕が思った事です。

長文、駄文、大変失礼しました。

 

最後になりますが、これは僕に対する気持ちの整理で書いた文章になり、「山下達郎が好きな僕」に対する批判になります。

なのでこの記事を一部引用したり、言葉を借りて、虎の威を借る狐のように使うのだけでは止めてください。

 

以上、ここまで読んで頂きありがとうございました。

 

おわり