Endo Tech Blog

Techブログと言う名のただのブログです。

「タタール人の砂漠」を読んだ

 

 

読もうと思ったきっかけは以前、阿佐ヶ谷で開催された ビブリオ・ロジ2で紹介されていた本の1つで、気になっていた。

イベントの内容としては高城昌平さんに加えて、もう二人ゲストを交え各々が読んだ本の魅力を紹介するイベントになっている。会場には自分を含めて30名ほど参加していた。肝心の本の内容はユングの宗教心理学的な話から、シェイクスピアの奥さんを題材にした本の紹介など、自分が触れてこなかった題材が紹介されて面白かった。

scrapbox.io

 

多分、ビブリオ・ロジ2では一番最後に紹介された本だと思う。

口頭での説明だったから、記憶を辿って紹介した時の言葉を書き起こすと

 

「若い将校のジョバンニ・ドローゴという人が辺境の砦に赴任する話なんですが、その砦には敵が15年以上来てないです。肉体も若くて、血気盛んで戦を求めているドローゴさんは4ヶ月経ったら、街に戻ろうとするんですが、その4ヶ月後には砦から離れてたくなくなっていて、むしろ砦の神秘さや、砂漠から来襲するタタール人に期待しているんです....」

みたいな事をビブリオ・ロジ2で聞いて、頭の中で「その後、ドローゴさんはどうなったんだ?」と思って続きを読んでみたくなった。

 

結論、読んで良かった。

壮大なエンディングや、カタルシスを感じるような最後ではなかった。

ただただ、人生の悲壮感と幻想的な比喩表現による山々や砦の様子が合わさって、ページが進む度にドローゴという一人の情熱と、人生が砂時計のように手からこぼれていくのが刺さる。なんとも素晴らしい小説だった。

 

「訳者解説」でも書いてあったが、この「タタール人の砂漠」を通じて著者であるブッツァーティさんが書きたかったのは「人生そのものである」という一文に納得した。

 

「タタール人の砂漠」は1940年に発売された。

その後、1945年の戦後早々にも再刊されたが、戦描写がない「タタール人の砂漠」は当時のイタリアの読書会には響かなかったと書いてある。その後、月日が流れてから再評価される流れがくるのだが、戦がない話だからこそ、言語を超えて、時間を超えて、現代にも響いているのではないかと考えた。

 

小説の後半で、ジョバンニ・ドローゴは老衰をして一人では立てなくなるシーンがある。しかし、そんな時になって本当に砦に敵が来襲する知らせが来た時に身体は衰弱して、砦からついには追い出されしまう。そんなどうしようもない時の心の内の言葉が個人的には胸を強く打った。

肉体は老えても、心にはまだ灯火があるようだと感じる名文だった。

 

<勇気をだせ、ドローゴ、これが最後のカードだ、軍人らしく死に立ち向かい、せめてお前の誤てる生涯の最後を立派に締めてくれ。運命に一夜を報いろ。

誰もお前に賛美を捧げはしないだろうし、誰もお前を英雄とか、あるいはそれに類した名で呼びはしないだろうが、しかし、だからこそ価値があるのだ。

しっかりとした足取りで幽冥の敷居をまたげ。閲兵式に赴くみたいに、胸を張って行け、できれば笑みも浮かべろ。結局のところ、心にあまり負い目はないのだ、神も許し給うだろう>